良いカルマを行うだけでは啓発は得られない

カルマの法則というものがある。平たく言えば、何かを行えばその反作用がカルマとして必ずその人に返ってくるという原理である。これは物理学の法則として広く一般的な現象に当てはまる。

例えば無意識に行っている一つの呼吸でもカルマ(行為)であるから、私たちが生み出している毎日のそして毎年、一生、何世代にもわたる総カルマたるや膨大なものとなる。これが山脈の様に積み上がっているといわれているカルマ(サンチットカルマ)というものだ。

この中からその一部を私たちはスーツケースに入れて今回の人生に持ち出している(プララブダカルマ)というわけだ。

ジョーティシュのチャートに現れているのは、このカルマの結果であるから何世代にも渡る全てのカルマを背負ってこの人生を生きているというわけではない。

このチャートを見て人生の出来事や未来を分析し予測するのだが、ここで注意してほしいことは、人生の全てをこの影響下に委ねるべきではないということだ。

つまりこうなるという予測だからそうしなければいけない!という訳ではない。(この点を誤解している人が多い)

私たちの自由意志によってこの人生で新たに作れるカルマ(クリヤマーナカルマ)というものも大切である。

つまり自分がどうなるか?よりどうしたいのか?を主体的に考えるところに人間としての価値がある。

というところまでが、これまでのお話であった。

そこから帰結する結論としては、では快適で幸せな人生を生きるためには、良いカルマ(自然法則に即した行動)をとるべきである。ということは勿論だが、それだけでは私たちはカルマの縛りから解放される訳ではない。

目指すは、カルマの縛りから解放された自由で、至福が永続し拘束のない無限を生きる状態である。

多くの人たちが目指してきた悟り、啓発の状態とはその様なものだ。それはカルマを作り出さない心の平衡状態と呼ばれるもので、サマディー(至福意識)を維持することだ。

では、どうしたらその様になれるのか?

一つには、何事にも執着を持たないバランスの取れた心の状態を維持することであると言われている。

まずカルマを超越し心の平安を保こと、これがヨーガの境地であり、多くの修行者たちによって求められてきた状態でもある。

そのために瞑想しヴェーダの知識を学ことが求められてきた。ジョーティシュはその一つだが、超越瞑想と合わせて勧められる学問である。