自然法則は目に見えない

ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、木からリンゴが落ちるのを見た時に閃いた!と言われている。それが真実かどうかはわからないが、彼は万有引力というものを見たのではない。物体の動きを見てその現象から引力というものが物質と物質の間には働いているということを見つけたのだ。

それは1687年頃のことであったが、その後天体の軌道などもその法則によって説明できることを示したので、確かにそういう法則が自然界には働いているという事がわかった。

私たちがこの地球上で生きていられるのも、月が地球から何処かへ飛んで行ってしまわないのもその力のおかげである。引力はあらゆる物質に等しく働いている力であるとわかった。

しかし、そしてその後、約300年近く経って1915年にアインシュタインが一般相対性理論というものを打ち出して、光も重力で曲がる、正確には時空が重力で曲げられている。ということを発見する。彼は理論を始め明らかにして、それが実際の観測から証明できたのは1919年の皆既日食であった。このように自然界には多くの法則と呼ばれるものが働いているが、それが存在しているとわかるのは、私たちが目で見えるものの動きによってである。それ自体が見えるわけではない。

こうして科学が発展してきた歴史を振り返ると自然界には多くの法則と呼ばれる秩序を維持しているものが働いており、それが人間の知性によって発見されてきた事がわかる。自然法則自体を見たという人はいない。

ジョーティシュでは、星の光と言っているが実は星が表しているのは、自然法則の働きである。実際にラーフ、ケートゥは形のない星としてチャートに表されている。そこからはどんな光線も出ていない。それが影響を与えるのだからそもそも星とは目に見えるものだけではない。

太陽は、権威とか父親、月は心や母親などは現代の物理学からは出てこない要素である。

しかし、チャート上で太陽が良くなかったらその人の父親に何か否定的な影響があるという事である。例えば健康が良くないとか、その人との関係が良くないとかの可能性がある。ただ、父親であれば第十室または第九室がそれを表しているので、その室が良いとかその室の支配星が強ければ、それほど悪くはならない。常に一元的な見方は禁物である。ジョーティシュでは多くの角度からの分析が可能なので、それらが一致するほどそれが起こる確率は高くなる。逆に反対の影響が見られれば、その可能性は低くなる。

このように星というものを自然法則を代表しているものと考えるとそれは物質的な価値によるものではない事がわかる。

ヴェーダウエイ

井岡