ジョーティシュは宗教的科学か?

科学とは客観的に物事を見て判断するものだ。

それに対して、もっとも主観的なものは宗教と芸術だろう。

宗教とは、ある個人が主観的に語ったことが人々に伝わり、それを信じる人達が広めてきた知識や教えだ。

仏陀が語ったものが仏教となりキリストが話したことがキリスト教、同様にマホメットが語ったものは、イスラム教と言われている。

これらが世界の三大宗教と言われているもっともポピュラーなものだ。創始者が違っても結局は人間のことだから、内容は良く似ている教えも多い。

ただ、科学がやるようにその教えは本当か?というように疑って実験などはしない。信者と呼ばれる者は教祖を疑ってはいけない!とさえ言われている。

つまり個人の主観的な見解を盲目的に信じて追従するのが宗教と呼ばれている。

おそらくすべてがあらゆる時代や文化の中で真理とは言えないだろうということは容易に想像できる。

だが、何百年も信じられてきたことには、なんらかの真理が含まれている可能性は高い。特に実験という形で行わなくとも多くの人たちが自身の人生で体験を通して確認し、それを伝えてきたからだ。

ただ科学的とは言われない。でも何となく正しそうだからと言ってそれを信じる人たちも多い。いわゆる「迷信」とか「言い伝え」とかのたぐいもそうだ。

この科学の時代に、確かに盲信は良くないが、科学的に証明されていないから、真理ではないと言い切るのも間違いだろう。多くの人たちの体験自体が貴重な実験の成果であるともいえるからだ。

さて、ではジョーティシュはどうだろうか?

どちらかと言うとその歴史は宗教の発展の仕方に近い。

だが、科学的に研究しようとしていたり、実際に統計処理ということをやっている人たちはいるだろう。

それにしても一般の科学のように、常にそうなるとなかなか言い切れないところが微妙だ。

まあ天気予報のように、科学的と言っても、常に当たるわけではない天気予報を人々は信じて、よく利用しているのだから、宗教的ともいえるが、けっこう当たるジョーティシュを利用しない手はないだろう。

ひとつにはジョーティシュは、複雑すぎて因子が多すぎるので、シンプルに科学の土俵にはなかなか登れない!

ジョーティシュは、科学の実験で行うように、一つだけの因子を取り出して実験するということは困難だが、類似なものを集めて、統計的なデータを取って分析することはできるかもしれない、すでに行っている人たちもいるだろう。

いつの日か、ジョーティシュも天体の科学と呼ばれる日がくるだろう。